意識高い系乙wwwと言っている人につける薬はない

吉田ろくです。

今日は意識高い系について考えたいと思います。

昔、学生時代にスクールカースト下位(被支配層)だった人が意識高い系になりやすいという記事を読みました。
学生時代にスクールカースト上位(支配層)だった人は、承認欲求が満たされているので他人にアピールする必要がなく、スクールカースト下位(被支配層)だった人は承認欲求が満たされていないので他人に何かをアピールしたくなって意識高い系になる。という内容でした。
この解釈が良いものか悪いものかは、意識高い系という言葉の認識にもよりますが、この記事のタイトルは「意識高い系につける薬はない」というものでしたので、明らかに意識高い系を批判するような文脈で書かれていました。
僕もスクールカースト下位にいたので、この記事のような流れで、出版社でインターンをしたりして、意識高い系だと批判されたことがあります。

でも、必ずしも意識高い系が悪いことだとは思いません。
意識高い系が悪だとされるのは、目的が他者からの承認になっていることだと思います。
意識高い系の人が被災地ボランティアに来て困ったという話を聞いたことがあるのですが、それはボランティアをすることが目的なのではなく、ボランティアに行くことが目的になっていたからだと思います。
ボランティアに行くことが目的というのは、ボランティアにしたという行為を誰かに認められたくて行ったということです。
ですが人間誰しも承認欲求はあるので、その認められたいという感情は否定できるものではありません。
だからそれで行きたいと思ったとしても、何のために行くのかということを自分でちゃんと考えることが重要です。
この目的をちゃんと決めて行動するというのが、意識高い系の生きる道ではないかと思いました。
そしてその目的というのは、何かへの渇望から生まれやすいのだと思います。僕もそうです。
だからスクールカースト下位の人は、その目的を見つけることが、世間で批判されるような意識高い系にならない方法だと思います。
僕もこれからは、ちゃんと何故それをしているのかという目的を考えながら行動したいと思います。