縦の関係

吉田ろくです。
今日はリーダーについて書きたいと思います。

私は今ライブスタッフのアルバイトをしているのですが、もう始めて7年になるのでアルバイトをまとめるチーフを任されることもあります。
ライブスタッフのアルバイトは、派遣のような形態で自分が行きたいときに行けるのが魅力ですが、その分人の入れ替わりが激しいです。
関東だけでも同業の会社は複数あり、私もいくつかの会社に登録しています。
しかし、会社によって仕事のやり方が違ったり、社内文化というものの存在を感じます。
そこで私が経験した会社の特色を2つあげ、比較したいと思います
仮にA社とB社があったとします。
A社はとても大きな会社で、現場の数も多く、チーフの育成もしっかりしています。
B社はそこまで大きくなく、現場も少なくて、チーフの教育というものまでまだ視野にいれていない状態です。
こう比較すると、A社の方がいい環境ということになると思います。
しかし仕事を回す上で、重要なのはチーフの管理能力です。
A社のチーフはB社よりもたしかに仕事はできる。上から要請されることが多いので、その分仕事もできるようになります。
ですがA社のチーフに問題があるのは、チーフだからと言って偉そうにする人が多いのです。
大きな現場になると、ほとんどの人が初対面で礼儀をわきまえるべきなのに、年上に対しても敬語を使わないというのはざらにあります。
そんなチーフに嫌気がさして一回で辞めてしまうような人も何人もいます。
そのような環境を考えたら、B社の方が居心地がいいと感じる人もいるかと思います。
なぜA社はそんな状態になってしまったのか、それは仕事の効率を優先するあまり、上からの抑圧が下に伝播していってるのではないかと思いました。
自分も上から偉そうにされたからと、その鬱憤が下に漏れているようなのです。。
対等な立場でも縦の関係ができていて、それがもはや習慣となってしまっている。
私が下の立場だったらこんなバイト先絶対に嫌だなと思うことが何度もありました。
しかしそれでも仕事の質は高いのだから、改善するのは難しい問題なのかもしれません。

座標を打つ

吉田ろくです。
今日は個性について書きたいと思います。

文化の多様化が進んでいる今、個性というのは強力な武器になります。
自分を売り込むときに、他人にはないこれがあるというのはアピールになると同時に自信にもつながります。
私は昔から普通が嫌いだったので、個性を求めて色んなことをやってきました。
率先してふざけて笑いを生み出したり、奇抜な髪形や服装に挑戦してみたり。
こう書くとそこまで個性的なようには見えませんが、そうして私は他者の注目を集めてきました。
ですが最近私は、自分の個性をなかなか表現できなくて悶々としていました。
そもそも個性なんか自分から染み出るものなのだから、とりあえず何でも量産すればそこに自分らしさが生まれるのではないかと考え、思考停止になっていた気がします。
しかし今日、それが間違いであったことに気が付きました。
個性というのは、一貫しているものです。
それまでのストーリーを孕んだものを表現することで、個性につながるのではないか。
グラフ上に線が描かれていて、急に的外れなところに点が表れても綺麗な線にはならないように、それまで伸びた線を踏まえたうえで適した座標を打つ。
そうして現れた滑らかな線が、個性なのだと感じました。
自分らしさは染み出るものではなく、表現するもの。
当たり前ですが、ちゃんと頭を使って表現することが自分らしさを売りにできる方法かもしれないです。

未来を描く

吉田ろくです。
今日は可能性について書きたいと思います。

私たちは誰の例外もなく、未来に向かって進んでいます。
それはどんなに拒否されようと、強制的にやってきます。
例えば、歳をとること。
僕はもうすぐ26歳になりますが、歳相応の経験を積んできたかと問われれば、自信をもった返事はできません。
ですので、歳をとることにたいして憂いを感じてしまいます。
これは25歳の終わること、強制的に何かが終わり、可能性が狭まっていくことに対しての不安のような気がします。
26歳よりも、25歳の方が可能性がある。
私は可能性に執着したくて、歳をとりたくないのかもしれません。

ですが、思い返してみると私が今いる環境には可能性にあふれています。
これから進むであろう未来に、楽しみを感じることがいくつもあります。
現状だけをみると、なんと見栄えのない人生なのだと思ってしまうこともありますが、ふと未来を描いてみると、これまでは想像もできなかった可能性が広がっている。
そのことが今は楽しみでなりません。
できれば、この感覚を周りの人にも感じてもらいたい。
決して未来の方が可能性がなくなるなんてことはない。
それを自分だけではなく、他人にも未来を描くことができたとき、世界を愛することができるのではないかと思いました。

武道館

吉田ろくです。
今日は朝井リョウさんの「武道館」を読みました。

武道館 (文春文庫)

武道館 (文春文庫)

 

これはとある少女がアイドルになり、アイドルの聖地である武道館を目指す話です。
僕は正直アイドルというものに対して興味はあまりなかったのですが、朝井リョウさんの小説は一番読んでいるほど好きだったので読んでみました。
アイドルには、恋愛禁止という絶対的なルールがあります。
この本は知らない誰かから決められたそのルールに対する葛藤が描かれています。
人を好きになるというのは人間の本能であり、そのおかげで我々は子孫を残してきました。
ですので人間の本質は愛でできていると言っても過言ではないかと思います。
ですので正直僕は恋愛禁止というルールには賛成できません。
ファンに応えなければいけないからと抑圧されるのは、逆にファンがアイドルに対して愛がないのではないかと感じます。
アイドルは偶像です。
でも人間が本物の偶像になることの難しさを想像することが、アイドルに対する愛なのではないかと思いました。
今、コミュニティが形成あれる過渡期ならば、これからは愛のあるコミュニティが形成されるような社会にしたいです。

考えるな、感じろ

吉田ろくです。
今日は「考える」ということについて書きたいと思います。

『考えるな、感じろ』
誰の何の言葉かは知らないけど、脳の片隅に気付けばあった言葉です。
調べてみると「燃えよドラゴン」という映画でブルース・リーが言ったセリフでした。
考える作業は左脳の仕事、感じる作業は右脳の仕事。
このセリフは昨日の「脳の右側で描け」で書いたことと同じことを言っているのかもしれません。

 

yoshida6.hatenablog.com

では、何故考えるよりも感じる方が重要とされるのか。
それは、まず第一に人間の脳はたとえ左脳であっても、完璧に論理的な思考をすることができないからだと思います。
数式のような単純なロジックでの論理であればまだしも、現実で直面する問題には、人間の脳ではとてもじゃないけど包括しきれないような情報を孕んでいます。
それを考えるという作業だけで解決しようとするのは、少し傲慢ささえ感じます。
それともう一つ、人間には直感というものがあるからです。
僕はここ最近まで、論理こそが正義という考え方をしていたのですが、このごろ人間には理屈では説明できないような不思議な力があることを実感しました。
こう書くと中二病だと揶揄されそうですが、最近読んだ本の中にも多くそのようなことが書かれていたため、僕はこの考えを曲げるつもりはありません。
人間には不思議な力がある。そしてそれは自分にもあてはまるのだ。
そのような意味が『考えるな、感じろ』という言葉に含まれているのではないかと僕は思っています。

脳の右側で描け(1)

吉田ろくです。
今日は「決定版 脳の右側で描け」を第一章まで読みました。

決定版 脳の右側で描け

決定版 脳の右側で描け

 

僕は小1の時から約3年間、絵画の教室に通っていたのですが、辞める直前に一度だけ絵のコンクールで金賞を獲ったことがあります。
今まで生きてきて賞と名のつくものを獲ったことがあるのはそれだけだったので未だに覚えているのですが、今となっては絵は全く描けません。
最近は字を書くためにペンを持つことすら稀で、絵を描く機会なんて全くの皆無。
そんな僕が何故この本に魅力を感じたのかというと、このタイトルです。
「脳の右側で描け」
僕の記憶が正しければ、左脳が理性的な部分、右脳が感覚的な部分をつかさどっていた気がします。
僕は何に対しても理由を考えてしまう性格で、それで考えすぎてしまうことが多々あります。
それと数学が得意だったこともあり、僕はいつも感覚よりも理性が先行しすぎているのではないかと思っていました。
もっと感覚的に生きたい。つまり、右脳的に生きたい。
第一章まで読んでも、やはりその悩みにこの本はうってつけもものでした。

この筆者はアメリカで美術講師を行っている方で、この本が出版された2011年のアメリカでは、知覚よりも思考の方が重要だとされ、知覚に関する教育が怠っていると指摘しています。
さらに筆者は知覚は思考を助けるものだとして、思考だけを伸ばす教育は間違っていると記述しています。
これは『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』に書かれていた正解のコモデティ化に通じる話です。
つまり、数年前のアメリカだけでなく、現在の日本でも知覚に関する教育は必要であることが言えると思います。
その他にも筆者は、知覚の勉強をすることによってものの見方が変わるというようなことも書かれています。
正直に言うと最初この本が届いたときは「ただの教科書やん…」と思ってしまったのですが、この本によって自分にどんな変化があるのか、長期的に挑戦したいと思います。
続く。

 

常識は武器じゃない

吉田ろくです。
今日は「常識」という言葉について書きたいと思います。

この前バイトで、「常識的におかしいでしょ」とクレームを入れてくるお客様がいました。
そのクレーム内容に関しては、業界的には何年も行っていることで常識を持っていないのはむしろお客様の方だなと思いました。
常識というものは衣です。
自らを守るために社会生活で徐々に形成されていくものだと理解しています。
確かに僕はまだ正社員になったことがないし、その年上のお客様よりは知識を持ち得ていないでしょう。
立場上お客様の以降に沿った対応をしなければならない。
でも「常識的には」とか「普通は」とか「世間的には」とか、その言葉の使い方自体が非常識な気がします。
あくまで常識は自分を守ってくれるもので、武器じゃない。
このようなことを逆に僕がやってしまわぬように、心に留めておきたい言葉です。