隷属なき道(前半)

吉田ろくです。
今日はルドガー・ブレグマン著の「隷属なき道」を5章まで読みました。

隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働

隷属なき道 AIとの競争に勝つベーシックインカムと一日三時間労働

 

 れい‐ぞく【隷属】
[名](スル)
1 他の支配を受けて、その言いなりになること。隷従。「本国に隷属する植民地」
2 てした。配下。部下。
「天下の武士皆其―にあらざるはなし」〈福沢文明論之概略

日本で最も高価な紙幣に印刷されている、福沢諭吉の言葉です。

「天は人の上に人を作らず」

その言葉が生まれた産業革命の時代から現代まで、世界経済は過去最大の繁栄を迎えたと、この本には書いてあります。
私のような一端のフリーターでも、将来の不安はあれどそこそこ安定した暮らしができているのはそのおかげかもしれません。
この本には、その繁栄からさらに生活の質をあげるための資本主義について書かれています。
4章までを読むと、ベーシックインカムという言葉がキーワードのようでした。
貧困撲滅のためにベーシックインカムを行うと、あらゆる面で社会がいい方向に働き、さらに経済効果も上がるというものでした。
お金の使い方が良くないから貧困になるというわけではなく、欠乏感が貧困を招く。
ドストエフスキーが「金は鋳造された自由だ」と表現したように、ベーシックインカムは、人間は生きているだけで価値があるということを示したのではないでしょうか。
あくまで世界は金が人間を支配しているのではなくて、人間が金を支配しているということでもあるかもしれません。

また、5章ではGDPについて言及されています。
GDPは戦時における国力の優れた指標であり、今の社会はGDPに代わる新たな指標が必要だということが書かれていました。
正直、経済のことに関して詳しくはないのですが、これは、世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)でのサイエンスとクラフトの問題と少し似ているかもしれないと思いました。

経済の本は初めて読んだのですが、所得の低さが年々嘆かれている中、日本は世界的に見て経済的に恵まれているというのは驚きでした。
またベーシックインカムの有用性について強く書かれていますが、これが日本でも実現可能なのかが気になるところです。
簡単なことではないでしょうが、もし可能ならば、雲行きが怪しいとされている日本の未来にも希望が持てる気がします。

明日に続きます。

自由になるのは大変なのだ

吉田ろくです。
今日は今井純さんの「自由になるのは大変なのだ」を読みました。

自由になるのは大変なのだ―インプロ・マニュアル

自由になるのは大変なのだ―インプロ・マニュアル

 

この本は、クリエイティブになることに対して勇気を与えてくれる本でした。
クリエイティブになるということは、挑戦に似ています。
マニュアル通りにやることや誰かを模倣して生きることは簡単ですが、答えがわからないものに立ち向かうことには、誰しも億劫さを感じてしまいます。
その答えを自らの手で編み出すことが、クリエイティブになるということではないかと思います。
しかし、それは決して一筋縄ではいきません。
センスがなければ、誰にも見向きもされない。批評されることだって多々ある。
そのような障害が多く待ち受けています。
ですが私には、必ずクリエイティブになれるという自信がありました。
私は高校に通っていたころ数学が得意で、その時にどんなに難しいとされる問題でも経験さえあれば解けるということを学びました。
だから難しい問題に挑戦するためにとりあえず経験を積むこと、わからない問題でも自分の頭でまず挑んでみることが重要だと思いました。
わからないことが恥なのではなくて、挑戦しないことが恥なのだと。
そのために私は「解は収束する」という言葉を大事にしています。
クリエイティブになるためには、解は必ず存在すると信じることこそが重要で、それを私は数学から学びました。
昔から「あーどうしようわからない。じゃあやろう!」という考え方をしていました。
この本を読んで、その考え方が私の自信に繋がっているのかと気づきました。
挑戦に億劫になってしまう人は、行きつく先が失敗になると信じているのではないでしょうか。
ですが、仮に失敗したとしても、何故失敗したのかという問いを持たないことが本当の失敗だと思います。
とは言いつつ、私も失敗に対してネガティブになってしまうことがあるので、この言葉は今後大事にしたいと思います。

自分の在り処

吉田ろくです。
今日は自分の在り処について書きたいと思います。

場所には、雰囲気というものがあります。
例えば、Twitterは現実では吐き出せないような言語を使ってみんな裸で踊っていて、インスタグラムは逆に非現実的な世界観を構築したがる。
それによって似合うアイコンも変わってくるように、場に即した立ち回りというものがあります。
じゃあブログにとって即した立ち回りというのはどんなものなのでしょうか。
長い文章を書くにあたっては、twitterのような直感的な面白さは表現できないし、インスタグラムのように写真一枚でストーリーを想像させるような書き方もできません。
ある意味SNSに比べて読み手の意志によって反応される分、SNSよりもハードルが高いのではないでしょうか。
私は本に書いてあるような価値のあることは書けないし、文章力がないどころかプロに添削されたら赤文字だらけになるであろうほどの未熟者です。
そんな私に今書ける文章といえば、感情を言葉に昇華させたものなのではないかと思います。
私は太宰治の「人間失格」が好きです。
あの小説の面白さは、太宰自身の境遇における感情を小説に落とし込めたところではないかと思います。
あれほどの熱量をもった作品を私は見たことがありません。
このブログのタイトルは無職の日報です。
毎日の心の動きを誰かに報告するような書き方を今後はしたいと思います。
それが誰かへの共感に、いつか繋がればいいなと思います。

ささやかな夢

吉田ろくです。
今日はペットということについて書きたいと思います。

私の家の近くには猫がたくさんいます。
でも駅までの道にいたいつも触っても逃げなかった猫はいつのまにかいなくなって、少しさみしい思いをしている今日このごろです。
昔テレビで、刑務所で囚人に犬を飼わせたら再犯率がぐっと下がったという特集を観ました。
私はろくにペットを飼ったことがないのですが、近くに面倒をみる動物がいれば愛を持てるということなのでしょうか。
動物が直感と本能だけで生きているというのは、なんだか羨ましい気もします。
いつか生活に余裕ができたら猫を飼いたいというのが、私のひとつの夢です。

コンビニ人間

吉田ろくです。
今日は村田沙耶香さんの『コンビニ人間」を読みました。

コンビニ人間 (文春文庫)

コンビニ人間 (文春文庫)

 

私は普通を見上げて生きてきました。
普通に生きているみんなからしたら、私は何故か下にいる存在のようで、どうにかそれに近づこうと、ずっと上を向いて生きてきました。
観察を続けた結果、昔よりは普通の人間に見えるらしく、なんならいつのまにか水準よりも上に到達していたらしく、周りには自然と人が集まってくるようになりました。
ですが私はそれが心地悪く、いつかもとのいるべき場所に戻される恐怖で、上にいる人間の模倣するのが億劫になりました。
この感覚を理解してくれる人は誰もいないのか、長年の願いはこの小説の主人公によって解決されました。
そしてこの小説が世界で広く知られているのは私にとって喜ぶべきことかもしれません。
事実を淡々と喋ることしかできない。社会で何か役割を与えられなければ生きている心地がしない。
このことを面白がれる世界が、彼女にとってはコンビニだったのではないでしょうか。

ワーカホリック

吉田ろくです。
今日はワーカホリックについて書きたいと思います。

最近よく、心が弱い人は所属しているコミュニティを増やせということを聞きます。
私もよく気分が滅入ってしまうことがよくあるのですが、そういうときはアルバイトに行きたくなってしまいます。
コンビニ人間という小説を読んでいるのですが、その冒頭だけでも膝を打つ場面が多く、働いているときだけ生きている心地がする感じです。
役割を求めれられるということは、やるべきことが決められていて、感情を考慮する必要がありません。
感情が排除された世界は、もうロジカルな部分しかないので、理系脳の僕としては考えやすいのです。
こうしてワーカホリックは生まれるのではないかとさえ思います。
それを面白がるために、はやく働きたいです。

自信

吉田ろくです。
今日は自信について書きたいと思います。

私は自分に自信がありません。ということは自信を持って言えます。
そして自信のなさの建設的な使い方にも自信があります。
結果、私は自分に自信があります。
自分の何がだめなのか知っている人は強いです。
私は自分に何がたりないのかできるだけ内省しているつもりです。
その作業には自信があります。
任せてください。