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吉田ろくです。

今日はここ数年ずっと思っていたことを書きたいと思います。

5年前「嫌われる勇気」というアドラー心理学について書かれた本を読みました。
読み終えた当初は、なんと素晴らしい心理学なのだと感銘を受け、アドラー心理学の住人になれるようにと頭を巡らせていました。
しかし本にも書かれていたように、それは簡単な道ではありませんでした。
アドラー心理学には、感情は何かしらの目的をもって作り出されるというような部分があります。
しかしそれを自分や他人に当てはめてみるのはすごく難しいことで、なぜなら人間を人間たらしめるものは感情である気がするからです。
気がすると書いているからには、確証をもてずにこれを書いているわけですが、感情という心の変化こそが人生のストーリーに彩りを与えていると思うからです。
それを自らが作り出しているという考え方には、あまりにも夢がなさすぎる気がするのです。
アドラー心理学の魅力と残酷さは、その建設的すぎる部分だと思います。
過去をないものとする考え方は、今を生きるということ。
でもそこまで到達しうるには、どれほどの険しい道のりがあるのか。
アドラーを知ってしまったからこそ苦しいこの心も、私がそう願い作り出しているのでしょうか。